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コレクションコラム vol.5【グリコ ~子供の天職‘食べること’と’遊ぶこと’を叶えるお菓子~】[テーマ:グリコ①]

著: ニコチアーナ・フブキ
編: 桜城蘭

目次

グリコ ~子供の天職‘食べること’と’遊ぶこと’を叶えるお菓子~

はじめに

 大阪府に本社を構える食品メーカーである江崎グリコ株式会社は、2022年(令和4年)には創立100周年を迎えました。ポッキー、プリッツ、パピコ、カプリコなど、誰もが一度は食べたことのあるお菓子を製造している、お菓子界の重鎮です。1

 数ある江崎グリコの商品の内、強いて一つだけ挙げるとすれば、会社名の由来にもなっているキャラメル菓子『グリコ』になるのではないでしょうか。企業シンボルにもなっているパッケージデザインと、現代に至るまで様々なおまけが同封されてきたこの商品は、江崎グリコの歴史そのものです。

 今回は、当館に多数の‘おまけ’の展示品がある『グリコ』、ひいては江崎グリコの歴史について紹介します。

江崎グリコのオマケ①(出典:B宝館)

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江崎グリコと『グリコ』の誕生

 江崎グリコの創業者、江崎利一は、1882年(明治15年)に佐賀県で生まれました。両親は薬種業を営んでおり、長男であった江崎は家事手伝いや弟妹の子守りに勤しんでいたそうです。21901年(明治34年)には父親が死去し、突如として一家の大黒柱となった19歳の江崎は、より一層商売に励んだとされています。3

 ただ江崎は佐賀県で地元の商売人として一生を終えようとは考えておらず、常々人々の健康のためにできることを模索しており、やがては大阪で商売をしようと考えておりました。そんな折、転機が訪れます。

 佐賀県筑後川の土手を通りがかった際、地元の漁師たちが牡蠣の干し身を作っていました。今でこそ牡蠣と言えば生牡蠣が珍重されていますが、当時日持ちしない牡蠣の生食は地元の人間だけの特権であり、牡蠣はもっぱら茹でられた後に干物として中国大陸に輸出されていました。

 牡蠣を茹で上げる過程を観察していた江崎は、大量にこぼれる煮汁を見て、以前読んだ記事に「牡蠣にはエネルギー代謝に必要なグリコーゲンが多く含まれてい」と書かれていたことを思い出します。漁師から牡蠣の煮汁を譲り受けた江崎は、これを丹念に煮詰めてグリコーゲンを抽出する研究を始めます。

 研究に没頭する最中、8歳になる江崎の息子がチフス(細菌感染症の一種)に罹ってしまいます。医者も匙を投げるほどの重い病状でしたが、牡蠣エキスを摂取させ続けたところ容体が安定し、一命を取り留めます。この経験を経て、江崎は益々グリコーゲンに大きな期待を寄せるようになりました。

 グリコーゲンが豊富に含まれる牡蠣エキスを薬として有効活用しようと考えていた江崎に、ある医者がアドバイスをします。

病気になった人を治すよりも、そもそも病気に罹らない体づくりをする方が肝心。予防に勝る治療なし」……

 その言葉を聞いてハッとした江崎は、当時大流行していたキャラメルに牡蠣エキスを加えて、美味しく楽しく、子供たちの健康を促進できるような菓子を作ろうと決意します。

 キャラメル作りの経験がない江崎はかなりの苦戦を強いられますが、1921年(大正10年)には念願の‘栄養菓子’を誕生させます。これが『グリコ』です。4567

牡蠣(出典:photoAC)

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『グリコ』のこだわり① 商品名

 作り上げたキャラメルをとにかくインパクトのある名称にしたかった江崎は、3文字の商品名にこだわり、原材料のグリコーゲンに由来して『グリコ』と名付けます。社内からは

『グリコ』だと何の菓子か分からないので、『グリコキャラメル』にしたらどうか

 との反対意見が多く出たものの、今までにない栄養菓子を打ち立てることに躍起となっていた江崎は結局『グリコ』案を押し通します。商品名一つ取っても妥協しない、江崎の並々ならぬ覚悟が分かりますね。89

グリコのオマケ②(出典:B宝館)

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『グリコ』のこだわり② ハート形のキャラメル

 また江崎は、『グリコ』の形状にもこだわりました。真心を表す『グリコ』のハート形キャラメルは、子供たちが口に入れても角が当たらず、舌触りが良いとの理由で江崎が考えました。が、菓子製造の専門家からは

柔らかいキャラメルをハート形に仕立て上げるのは不可能

 と断言される始末。そこでめげないのが江崎でした。試行錯誤の末、自らの手で『グリコ』をハート形に成形するローラーを作り上げることに成功します。今に至るまで、ハート形は『グリコ』を象徴するものとして、今なお人々に親しまれています。1011

ハート(出典:photoAC)

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『グリコ』のこだわり③「ゴールインサイン」

 人目を引く商品名『グリコ』、ハート形のキャラメル、当時は珍しかった赤地のパッケージ(森永ミルクキャラメルに対抗して、赤いカラーリングを採用したとのこと)12など、江崎のこだわりが反映された『グリコ』ですが、その最たる例は、マラソン選手らしき男性がゴールインしている様を切り取った「ゴールインサイン」でしょう。

 道頓堀のネオンサインでも有名な「ゴールインサイン」は、やはり江崎が考え付いたものでした。ある日、佐賀県八坂神社の境内でかけっこをしていた子供が両手を大きく挙げてゴールインをする姿を見た江崎は閃きます。

 「スポーツは健康への近道であり、子供たちの遊びの本能もやはりスポーツに通じている。それを象徴するのがゴールインの姿だ!

 こうして「ゴールインサイン」がグリコのパッケージデザインに採用されました。

 また同時に、『グリコ』の象徴的なキャッチコピーである「一粒300メートル」も、マラソンを彷彿とさせる「ゴールインサイン」と共に生み出されます。このキャッチコピーは決して比喩的な表現ではなく、実際に300メートルを走るためのカロリー計算をして、そこから『グリコ』の商品設計がなされたほどです。1314

 ちなみにこの「ゴールインサイン」のデザインはマイナーチェンジを繰り返しており、現行のデザインは1992年(平成4年)に作られた7代目となります。初代の「ゴールインサイン」は後年のものと比べるとかなり写実的で、ともすれば不気味に捉えられかねないデザインでした。15

 実際にこのようなエピソードがあります。江崎がデパートのお菓子売り場を視察していた時、女学生たちが一旦手に取った『グリコ』を棚に戻す場面に遭遇しました。驚いた江崎は、女学生たちに『グリコ』を棚に戻した理由を聞くと、女学生たちは笑いながら

 「(ゴールインサインの)顔が怖いから

 と答えました。この返答に衝撃を受けた江崎は、より親しみを抱きやすいパッケージデザインへの変更を決意し、2代目「ゴールインサイン」を作成します。1617

 真偽は不明であるものの、この2代目「ゴールインサイン」は複数名の実在した陸上選手をモデルにしているとされています。極東オリンピックで活躍し、日本でも人気の高かったフィリピン人短距離走者のフォルチュナト・カタロン、日本マラソン界の父とされる金栗四三らの姿に着想を得たそうです。18

道頓堀のグリコサイン(出典:photoAC)

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『グリコ』のおまけ

 『グリコ』の開発にあたり子供たちの生活を観察していた江崎は、このような考えに至りました。

子供の天職は、’食べること’と‘遊ぶこと’である

 こうして1922年(大正11年)に販売が開始された『グリコ』には、当初から子供たちの心の健康、即ち知識と情操を育むことを目的とした‘おまけ’が同封されていました。

 販売当初のおまけは、当時煙草に同封されていた美人画カードを参考にした絵カードでした。その後順調に売上を伸ばすと、江崎は子供たちのことをよく知っている幼稚園の教諭から意見を集い、1927年(昭和2年)から本格的におもちゃの提供を開始します。そして1929年(昭和4年)には、今でも定番になっているおもちゃ小箱が登場しました。

 戦中、戦後直後には、時代の趨勢と物資不足からおまけの製造が中断された時期もありましたが、その後は見事復活し、現在に至ります。1920

グリコのオマケ③(出典:B宝館)

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最後に

 江崎グリコのお菓子『グリコ』を取り上げましたが、いかがでしたでしょうか。1世紀に渡り子供たちの体と心の健康を育んできた『グリコ』とそのおまけは、今後も子供たちの成長を見守り続けることでしょう。当館には戦前、戦中、戦後、そして現代に至るまでの歴代のおまけが所蔵されております。是非一度、ご自身の目でご覧になってください。



脚注
  1. 「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言 | 文春オンライン ↩︎
  2. 『私の履歴書 経済人 7』p.145 ↩︎
  3. 『私の履歴書 経済人 7』p.148~149 ↩︎
  4. 「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言 | 文春オンライン ↩︎
  5. グリコの歴史|【公式】江崎グリコ(Glico) ↩︎
  6. 『私の履歴書 経済人 7』p.160 ↩︎
  7. 甘~いお菓子のパワーの素は、大人の味・牡蠣エキスだった! | 【公式】江崎グリコ(Glico) ↩︎
  8. グリコの歴史|【公式】江崎グリコ(Glico) ↩︎
  9. (2ページ目)「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言 | 文春オンライン ↩︎
  10. グリコの歴史|【公式】江崎グリコ(Glico) ↩︎
  11. グリコの歴史|【公式】江崎グリコ(Glico) ↩︎
  12. (3ページ目)「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言 | 文春オンライン ↩︎
  13. グリコの歴史|【公式】江崎グリコ(Glico) ↩︎
  14. (3ページ目)「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言 | 文春オンライン ↩︎
  15. グリコの歴史|【公式】江崎グリコ(Glico) ↩︎
  16. (3ページ目)「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言 | 文春オンライン ↩︎
  17. (4ページ目)「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言 | 文春オンライン ↩︎
  18. (4ページ目)「グリコの由来は息子を救った“グリコーゲン”」「ポッキーはボツになりかけた」… 〈創立100年〉江崎グリコの創業者がショックを受けた‟女学生”の意外な一言 | 文春オンライン ↩︎
  19. 55億個のおもちゃに宿る、創意工夫の精神 | 【公式】江崎グリコ(Glico) ↩︎
  20. グリコの歴史|【公式】江崎グリコ(Glico) ↩︎
参考文献

・日本経済新聞社(1980) . 『私の履歴書 経済人 7』 . 日本経済新聞出版 , p.477 .


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