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消費者金融グッズ ~毀誉褒貶の狭間で生まれたキャラクターたち~

著: ニコチアーナ・フブキ
編: 桜城蘭

目次

消費者金融グッズ ~毀誉褒貶の狭間で生まれたキャラクターたち

はじめに

 皆さんは、消費者金融でお金を借りたことがあるでしょうか?

 消費者金融の俗称、蔑称である「サラ金」は‘サラリーマン金融’の略1であり、その名の通り、戦後日本の経済発展に伴うサラリーマンの増加と共に歩んできた金融事業です。メインバンクとは異なり、個人への小口融資を行う消費者金融は庶民の生活とは切っても切れぬ存在であり、強引な貸し付けや取り立てが社会問題化した後は、常に世間からの厳しい目に晒されてきました。

 そのような背景もあり、消費者金融各社はCMなどの広告を積極的に打ち出し、イメージの刷新を図ります。それらを代表するのが、今回取り上げる消費者金融グッズです。

 消費者金融の激動の歴史、そして登場した途端、すぐさま業界の自主規制によって消えていった消費者金融グッズについてご紹介します。

消費者金融(出典:photoAC)

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消費者金融の歴史 ~サラリーマンと素人高利貸~

 「サラ金」が‘サラリーマン金融’の略であることは前述の通りです。では、サラリーマンは一体いつから日本に根付いたのでしょうか?

 サラリーマン、つまり民間企業に勤め給料を貰うことで生活する労働者を指す言葉が一般的になったのは、第一世界大戦後でした2
 明治維新後、都市生活者として給料を貰いながら働いていたのは、主に士族、それも官公庁に勤めるパターンが大半でした。二十世紀に入ると高等教育機関の充実もあり、段々と学歴エリートがサラリーマン化していき、第一次世界大戦後には好景気を背景に、官公庁ではなく民間企業に就職、転職する者が続出しました。高等教育機関への進学率がわずか数パーセントであった時代、モダンな背広に身を包み、雇用されている限りは一定以上の月給を貰えるサラリーマンは、庶民の憧れでした。3

 ただ‘宮仕え’の悲哀は、現代とさほど変わりません。サラリーマンが世に定着した1920年代には、既に中級以上のポストが高等教育修了者によって占められ、昇進スピードの鈍重さは高い学費を回収するには余りにも気長に思えました。またエリートとしての体裁を整うことには何かとお金がかかりますが、銀行を始めとした金融機関は、サラリーマンに対して積極的に融資しようとはしませんでした。
 と言うのも金融機関から見たサラリーマンは、「支出と見合わない安い賃金」、「上司の気分次第で首が飛ぶ境遇」、「借家住まい(戦前の住宅ローンは高嶺の花であり、殆どのサラリーマンは借家住まいでした)」であったため、貸付を行っても容易に踏み倒される可能性があったからです。4

 とはいえ金策をしなくては首が回らないサラリーマンは、やがて個人間でのお金の貸し借りを行うようになります。これが消費者金融の源流とも言える、「素人高利貸」の始まりでした。5

 素人高利貸はその名の通り、貸金業者ではなく、知人や同僚、親戚、友人からお金を有利子で借りる(もしくは貸す)行為のことです。見知った人間なら返済能力もある程度分かる上に顔を合わせる機会も多く、何より知った間柄である点が、金銭の貸し借りをする際のハードルを下げました。素人高利貸は、副業としてこれを薦める書籍が何冊も刊行されていた程、サラリーマン生活には欠かせない存在となります。6

借用書(出典:photoAC)

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消費者金融の歴史 ~質屋から団地金融~

 時代は下り、戦後日本。「三丁目の夕日」など戦後直後を描いた作品に頻出するように、庶民が金策に走る先と言えば、「質屋」でした。質屋が戦後に隆盛を迎えたのは慢性的な物資不足が背景にあります。敗戦後の日本ではとにかくモノが不足しており、仮に借金を踏み倒されても、客が預けた担保品(質草)を売りさばけば(質流れ)、逆に儲かることもありました。ただその後、日本が高度経済成長期を迎え大量消費社会を迎えると、質屋は一気に斜陽になります。モノが溢れ、作られては捨てられを繰り返す時代にはそぐわないビジネスモデルになっていたのです。7

 その質屋と入れ替わる形で台頭してきた8のが、「団地金融」でした。1955年(昭和30年)、敗戦後の日本の深刻な住宅不足を解消するために日本住宅公団(現・都市再生機構)が設立されると、同公団によって団地が次々と建設されます。当時の団地は密集した下町の家屋と違って日当たり良好、また風呂やシリンダー錠などモダンな住まいでした。9

 団地に住むためには、収入面などの厳しい審査をパスしなくてはなりません。つまり団地に住まう世帯は一定の返済能力を有していることが担保されているため、団地住まいの女性をターゲットにした団地金融は、この点を上手く突きます。素人高利貸とは違い顔見知りでなくても、団地に住んでさえいればほぼ審査なしに貸付を行ったので、融資の機動性や規模の面で飛躍的な進歩がありました。10

 団地金融が女性を顧客に据えたのは、「男は仕事・女は家庭」に代表される性別役割分業を利用したためです。家計をやりくりする立場である女性たちは借金していることを配偶者に知られたくない一心で必死に返済するので、回収する際にも有利に働きました。11

団地(出典:photoAC)

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消費者金融の歴史 ~高度経済成長期とサラ金、そして消費者金融~

 そして団地金融を経て、とにかく社内外での‘付き合い’、つまり交際費や接待費が出世レースでの勝敗を左右するサラリーマンたちを対象にした「サラリーマン金融」、サラ金が誕生します。団地金融同様、債務者は勤務する会社に借金の存在が露呈したらまずいと返済に躍起になる上、融資の審査時には勤務先自体が返済能力を計る情報源にもなりました。12

 1970年代に日本の高度経済成長が終焉を迎えると、むしろサラリーマン金融は大きく成長します。最も大きな要因は、日本全体で起きた貯蓄超過でした。1314

 敗戦後の日本は、深刻な貯蓄不足に陥っていました。金融機関が有する預貯金は重化学工業に代表される基幹産業への融資へ配分され、復興後の経済成長と相まって投資が投資を呼ぶ好循環が出来上がります。このサイクルにサラ金が入り込む余地はなく、サラ金が銀行から資金を借り入れることなど不可能でした。15

 しかし1970年代には、戦後のベビーブーム時に生まれた団塊の世代が働き盛りを迎え、老後に向けて貯蓄に励んだのに加え、各企業は内部留保として自前で蓄えた資金を設備投資に回すようになってしまいます。頭打ちしていた経済成長とも呼応して、銀行からの融資需要が低下しました。預貯金はあれど融資先がなく困っていた銀行は、新たな投資対象としてサラ金に目を付けます。16

 サラ金としても、銀行からの融資は願ったり叶ったりの話でした。規模を拡大できればそれだけスケールメリットが適用され、利益を生み出しやすくなります。また他社との熾烈な競争に勝つには、業界最大手に立ち知名度を活かして、多くの優良顧客を獲得する必要があります。不況下でサラリーマンの資金需要が低下していたこともあり、サラ金は銀行から借り入れした資金を背景に大幅な審査緩和を行い、より広い層の顧客をターゲットにします。ここに、現在に続く消費者金融が誕生しました。1718

壱万円(出典:photoAC)

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消費者金融の歴史 ~消費者金融躍進の理由~

 消費者金融が審査基準を緩和できたのは、二つの要因があります。「株式会社レンダースエクスチェンジ(LE社)」の設立と、「団体信用生命保険」の導入でした。

 1972年(昭和47年)に各社の共同出資で設立された株式会社レンダースエクスチェンジ(LE社)(現・JICC(日本信用情報機構))は、顧客の信用情報を共有する、貸金業界初の信用情報機関でした。これにより不良顧客の情報(ブラックリスト)を迅速かつ大規模に参照することができ、顧客層を拡大したことで貸し倒れのリスクが増加したことに対する歯止めとなりました。19

 団体信用生命保険(団信)は、債務者が死亡もしくは重度の障害を負い債務不履行に陥った場合、団信に加入していれば債務者は借金の返済を免除され、また債権者である金融機関は未返済の貸付金を保険金によって回収できる仕組みでした。規模の拡大と団信の存在により、顧客の貸し倒れリスクが定量的な確率として収斂され、全体で見た際に利益が上がっていれば問題がなくなりました。
 こうして消費者金融は膨大な信用情報を蓄えつつ、益々大規模な貸付を行っていきます。20

信用・信頼(出典:photoAC)

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消費者金融の歴史 ~冬の時代到来~

 しかしながら、この拡大路線は大きな副作用を伴いました。消費者金融の評判を大きく落としたのです。確率論的に貸し倒れリスクを組み込んだ経営システムは、言うなれば顧客の一人や二人が返済不能に陥り人生が破滅しても構わないような仕組みでした。更に1970年代後半からは過酷な取り立てや返済から逃れるために債務者の家出、自殺、心中が頻発しましたが、消費者金融の従業員の間では団信によって容易に貸付金回収ができるために、顧客の死亡を歓迎するような風潮さえあったとされます。21

 ‘サラ金地獄’と深刻なモラルハザードが社会問題化して、1983年(昭和58年)には貸金業規制法が制定され、業務全般に細かな規制をされた消費者金融は冬の時代を迎えます。22

借用書(出典:photoAC)

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消費者金融の歴史 ~バブル崩壊と更なる躍進、衰退、そして現在~

 ただ、1980年代に雌伏を強いられたことは、消費者金融にとっては幸運でした。バブル経済の熱狂とその崩壊の影響から、逃れることができたためです。銀行のようにバブル崩壊による不良債権を抱えずに済んだ消費者金融は、後述する自動契約機の開発により債務者の借入時の心理的ハードルを下げることに成功して、若年層を中心に融資を伸ばしていきました。不況下でも好調な業績を維持し、消費者金融各社は次々と株式上場、創業者一族は巨万の富を築きます。232425

 今でこそ‘失われた30年’と評される日本経済ですが、バブル崩壊直後は景気回復について楽観的に捉える顧客が多く、当座の資金を消費者金融から借り入れることで凌ごうとする状況が、各社の業績向上に繋がりました。その後はご存じの通り、景気回復どころか長期不況に突入して首が回らなくなった債務者が激増し、比例して自殺者数、自己破産数は増加の一途を辿ることになります。

 再び世間からの激しいバッシングを受けた消費者金融は、2006年(平成18年)に制定された改正貸金業法による規制強化で経営が悪化し、現在では最大手含めその多くが銀行傘下になることで命脈を保っています。26

失われた30年(出典:photoAC)

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自動契約機と消費者金融の広告戦略

 時代は少し遡り1990年代。冬の時代を迎えたことが功を奏し、バブル崩壊をほぼ無傷で乗り越えた消費者金融は、その勢力を拡大させます。その起爆剤となったのが自動契約(受付)機でした。アコムの「むじんくん」のイメージが余りにも強いせいか、「無人貸付機」とも呼ばれることもあるこの機械は、モニター越しに申込者を監視している場合もあり、業界では専ら前者の呼称が用いられています。
 人手を介さず無人の機械が金を貸し付けるアイデアは古くからあり、実際に1960年代には、既存顧客が所有する専用カードを入れると数万円の現金が出てくるという、‘現金の自動販売機’とも言えるサービスがありました。
 ただこれらの設備は窓口業務の負担軽減としては大変有用であったものの、1970年後半から本格的に導入されたATMやCD同様に、新規顧客の開拓には貢献しない代物でした。そのような中、1990年代には技術的課題が解決され、遂に自動契約機が登場します。
 アコムの「むじんくん」を嚆矢として、各社はこぞって自動契約機を開発、設置します。申込者は画面に表示された必要事項を入力し、免許証などの証明書類をスキャンして情報センターに送れば、従業員と対面でなくとも審査を受けることができます。人件費の削減のみならず新規顧客の開拓すら可能にした自動契約機の登場により、消費者金融各社は急激に店舗数を増やしていきます。
 こうして発展を遂げた消費者金融は、株式公開や一部上場を行っていきます。一連の流れにより資本市場からの資金調達が容易となり、また社会的信用も格段に向上します
 消費者金融の株式公開が達成された以降、民放テレビ局は消費者金融にテレビCM放映への門戸を開きます。イメージと知名度アップを図り、各社は豊富な資金源を元に積極的に宣伝を行っていきます。広告とイメージアップにより資金と顧客が増え、それにより自動契約機への更なる設備投資を行う……といった好循環が生まれたのです。27

新宿歌舞伎町にあるサラ金ビル(出典:photoAC)

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展示品紹介

 当館に所蔵されている消費者金融関連の展示品の一部を紹介します。

アコム「むじんくん」CMキャラクター、チャント星人のキーホルダー

 1996年(平成8年)から放送されたアコムの自動契約機「むじんくん」のCMに登場する、「チャント星人」のキーホルダーです。

 CMの内容は、チャント星人という宇宙人が金に困るたびに毎回地球のアコムに立ち寄り、金を借りるというもの。何故か宇宙人が地球に来て金を借りるという突飛な設定と、「ラララむじんくん」のフレーズで知られるCMソングの完成度も相まって、大きな評判を呼びました。(CDもセカンドシングルまで発売された程です)

 ただその後、消費者金融業界が自動契約機に関するCMの放映を自粛すると、途端に姿を消してしまったキャラクターたちでもあります。28

 ちなみにチャント星人の一人である「ムチャ」を演じているのは、「さんまのSUPERからくりTV」で有名なセイン・カミュ氏です。当時は余りのCM人気で、営業で新幹線に乗る際、宇宙人メイクをしたまま乗車するほど忙しかったそうです。29

 また中川翔子さんの15枚目シングル『ホロスコープ』のMVには、どう見てもチャント星人をオマージュしたとしか思えない宇宙人が出てきており、演じるのは他でもない、セイン・カミュ氏その人です。30

消費者金融キャラグッズ
アイフル「お自動さん」CMキャラクター、お自動さんのキーホルダー

 アイフルの自動契約機である「お自動さん」のCMキャラクター、お自動さんのキーホルダーです。

 当初「お自動さん」のCM放映は関西ローカル限定であったためか、登場するお自動さんキャラクターは全て関西弁で話します。この時代のCGによく見られる独特の不気味さが、良い味を出しているCMです。

お自動さん(出典:B宝館)

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最後に

 消費者金融の歴史と、短命に終わった自動契約機CMのキャラクターについて取り上げましたが、いかがでしょうか。

 1960年代にモーレツ社員の資金需要を満たす存在として誕生した消費者金融は、2010年代には今までのノウハウを活かしてアジア圏への進出により生き残りの道を模索し、また2020年代にはコロナ禍による経済不況において隠然たる影響力を見せるなどしています。31

 消費者金融は今後も時代に合わせて、‘愛憎入り混じる隣人’として存在していくことでしょう。


脚注
  1. サラ金の歴史が物語る日本経済の裏面史 | nippon.com ↩︎
  2. 『時事漫画』にみる「サラリーマン」の誕生 ↩︎
  3. 『サラ金の歴史』p.32 ↩︎
  4. 『サラ金の歴史』p.33~35 ↩︎
  5. 『サラ金の歴史』p.35~37 ↩︎
  6. 『サラ金の歴史』p.35~38 ↩︎
  7. 『サラ金の歴史』p.47~50 ↩︎
  8. 『サラ金の歴史』p.47 ↩︎
  9. 『サラ金の歴史』p.38~39 ↩︎
  10. 『サラ金の歴史』p.72~74 ↩︎
  11. 『サラ金の歴史』p.75~76 ↩︎
  12. 『サラ金の歴史』p.105~109 ↩︎
  13. サラ金の歴史が物語る日本経済の裏面史 | nippon.com ↩︎
  14. 『サラ金の歴史』p.142 ↩︎
  15. サラ金の歴史が物語る日本経済の裏面史 | nippon.com ↩︎
  16. 『サラ金の歴史』p.142~143 ↩︎
  17. 『サラ金の歴史』p.144~153 ↩︎
  18. サラ金の歴史が物語る日本経済の裏面史 | nippon.com ↩︎
  19. 『サラ金の歴史』p.154~155 ↩︎
  20. 『サラ金の歴史』p.158 ↩︎
  21. 『サラ金の歴史』p.159~161 ↩︎
  22. 『サラ金の歴史』p.219~222 ↩︎
  23. 『サラ金の歴史』p.235~239 ↩︎
  24. サラ金の歴史が物語る日本経済の裏面史 | nippon.com ↩︎
  25. 『サラ金の歴史』p.249~251 ↩︎
  26. 『サラ金の歴史』p.287~289 ↩︎
  27. 『サラ金の歴史』p.244~251 ↩︎
  28. セイン・カミュ – Wikipedia ↩︎
  29. 「むじんくん」CMと「からくりTV」で大ブレイク! 元祖イケメン外国人タレント セイン・カミュ、今何してる?:じっくり聞いタロウ | テレビ東京・BSテレ東の読んで見て感じるメディア テレ東プラス ↩︎
  30. 中川翔子 『ホロスコープ』 – YouTube ↩︎
  31. 『サラ金の歴史』p.303~304 ↩︎
参考文献

・小島庸平(2021) . 『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』 . 中央公論新社 , [中公新書] , [p.344] .


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