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たばこと人類の歩み ~アメリカ大陸が生み出した“神々の嗜好品”~

著: ニコチアーナ・フブキ
編: 桜城蘭

目次

たばこと人類の歩み ~アメリカ大陸が生み出した“神々の嗜好品”~

はじめに

 皆さん、タバコと聞くと、どのようなことをイメージされますか?

臭い…

健康に悪い…

高い…

 …といった、マイナスイメージが先行するのではないでしょうか?

 日本での喫煙率は1966年をピークとして年々減少し続け、厚生労働省の調査では、2022年度時点での喫煙率は「男性:25.4%、女性:7.7%」となっており、成人全体で見ると喫煙者の割合は2割を切っています。減少理由としては、健康意識の高まりや税制の改定、また喫煙環境を取り巻く法規制などが理由としてよく挙げられます。123

 いずれにしても喫煙者はマイノリティだということですね。

 かつては宇多田ヒカルさんが、First Loveで歌っているような「彼氏とのキスでタバコのflavorがした」なんて、今では「口臭がキツい」と言い換えられてしまうのではないでしょうか。
 筆者である私自身、周りからは色々な意味で煙たがられる喫煙者であるので、昨今の喫煙者に対する風当たりの強さは、身をもって体験しています。

 ただそこで、そもそもタバコ自体をあまり知らない、知られていないことが気になりました。タバコが嫌いな人はもとより、普段タバコを好んでいる人たちも、大方は決まった銘柄を吸い続けているだけであまりタバコそのものについて深く考えたことはないかと思います。

 いったい人々は、いつからタバコを吸っていたのでしょうか?

 世界史にタバコが本格的に登場したのは、15世紀~16世紀のこと。45タバコはアメリカ大陸が原産であり、元々は先住民が神々と交信するために用いていた宗教儀式の道具でした。67

 大航海時代によってヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達すると、タバコは万能の薬としてヨーロッパに持ち込まれ、やがて上流階級から貧民まで幅広い層に好まれる嗜好品として受容され、やがて全世界へと羽ばたいていきました。8

 そこから現代に至るまでの500年間で、タバコは人々の生活習慣、服飾、科学技術、経済などに多大な影響を与えてきました。少し調べただけでも大変興味深い事柄ばかりであり、タバコの歴史を振り返ることは、即ち人類の歴史を辿ることでもあると思いました。

 そんな人々を魅了し続けたタバコについて、私なりにコラム記事としてまとめてみました。
好む好まざるを問わず、近いようで遠い存在であるこの嗜好品について、少しでもお時間を割いていただければ幸いです。

「夜の喫煙所」出典:ぱくたそ

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そもそもタバコとは?

※当コラム記事では、嗜好品を指す「たばこ」を平仮名表記、その原料である「タバコ」を片仮名表記で使い分けます。

 たばこと言えば、パイプ、煙管、葉巻、紙巻きたばこ、加熱式たばこといった、タバコの葉を燃焼させることで発生する煙を味わうものから、噛みたばこや嗅ぎたばこなどの一般的な喫煙のイメージから外れているものなど、多様的です。ただいずれにしても、たばこはタバコの葉を何らかの形で味わうものだということは皆さんもお分かりになるかと思います。

 では、そもそも「タバコ」とはどんなものなのでしょうか?

 タバコは、ナス科タバコ属に分類される植物です。9ナス科の植物には、タバコなどが属するタバコ属の他に、ナスやトマト、ジャガイモなどが属するナス属、トウガラシやピーマンなどが属するトウガラシ属があります。10

 このようにナス科に分類される植物は多種多様、バラエティに富んでいますが、それにしてもタバコがトマト、ジャガイモと同じ括りにされているのは面白いですね。
 ちなみにナスもトマトもジャガイモもトウガラシも、タバコ同様アメリカ大陸が原産です。アメリカ大陸がなかったら、いったい私たちの食卓はどうなってしまっていたのでしょうか……

ナス科(出典:ぱくたそ)

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ニコチアーナ・タバカム

 先ほどタバコの原産地はアメリカ大陸であると述べましたが、正確に言うとタバコ属そのものはアメリカ大陸だけではなく世界中に分布しています。タバコ属は現在66種類が確認されており、そのうち3分の2、45種類はアメリカ大陸に生育していますが、オセアニア地域では20種類、またアフリカにおいてもナミビアで1種類の存在が確認されています。
 ただ嗜好品としてのたばこ用に世界中かつ大規模に栽培されているタバコは、アメリカ大陸が原産のニコチアーナ・タバカム(Nicotiana tabacum)とニコチアーナ・ルスチカ(Nicotiana rustica) の2種類であり、しかも後者は中央アジアを中心とした一部地域のみで栽培されているので、実質的には前者のニコチアーナ・タバカムのことを「タバコ」と称しています。
 そのため、実質的には「タバコの原産地はアメリカ大陸」と評することができます。ちなみにタバコの葉には黄色種、バーレー種、オリエント種という品種があるのですが、それらは全て上記のニコチアーナ・タバカムに該当します。ニコチアーナ・タバカムは、ボリビアとアルゼンチンにかけて分布しているニコチアーナ・シルベストリス(N-sylvestris)と、ニコチアーナ・トメントシフォルミス (N-tomentosiformis)という野生種がその起源だと考えられています。111213

 世界全体に広がったタバコも、最初はごくごく限られた地域にのみ生息していたわけですね。

タバカム・ルスチカ(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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タバコの語源

 ではそもそも「タバコ」という語はどこから来たのでしょうか?

 結論から申し上げますと、その語源ははっきりとは分かってはいません。

 ただ、ラス・カサス(スペインの征服事業と先住民(インディオ)達の差別的な待遇に真っ向から反対していたカトリック司祭)が著した『インディアス史』には、「何枚かの枯れ葉を1枚の枯れ葉で包んだ紙鉄砲型のものを、当地のインディオ達はタバーコとして呼んでいる」との記載があり、また中南米に四度赴き、スペイン王室からインディアス(スペインが征服した中南米地域)の歴史編纂を命じられたオビエドの『インディアス博物誌』では、「Y字型の煙の吸引具」を表現する語がタバコだと説明しています。
 「タバコ」は先住民がたばこを指していた言葉なのか、はたまた喫煙具の呼称だったのか。同時代の人間であるにも関わらずラス・カサスとオビエドはバラバラな見解を出していますが、どうやら当時のスペイン人が、先住民が使っていた「タバコ」と似たような響きの言葉を拾い上げ(もしくは勘違いをして)、用語としてのtabacoを広めたというのが実情のようです。14

Y字型の喫煙具(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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日本語としてのタバコ

 ちなみに日本語のタバコという語は、日本にタバコをもたらした南蛮人、つまりスペイン人やポルトガル人達の言葉をそのまま拝借したものです。江戸時代から当て字として「煙草」が使用されてきましたが、実はタバコが日本に伝来してしばらくは「莨菪」(音読みは「ろうとう」)と表記されていました。
 これは何故かというと、日本では当初タバコは薬草として看做されていたためか、本草学者(今でいうところの薬屋)がタバコのことを元々日本に自生していたナス科のハシリドコロ(漢字表記が、上記の「莨菪」)と混同したためです。ちなみに文献上に初めて「莨菪」の字が出てくるのは、徳川将軍家に仕えた朱子学の大家、林羅山の著書です。
 なおこのハシリドコロ、大変強い毒性があり、誤食すると錯乱状態を引き起こすことからその和名が付いています。見つけても食べてはダメですよ!
 しばらくは「煙草」と「莨菪」が併用される状況が続きましたが、17世紀の後半には、「煙草」という表記が定着しました。1516

ハシリドコロ(出典:photoAC)

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タバコを喫う神『エル・フマドール』

 前述の通り、タバコがアメリカ大陸原産であることはお分かりになったと思いますが、結局のところ、人類がいつからタバコを使っていたのかについては判明していません。しかしながら、多くの文献でタバコと人類の原初の歴史として取り上げているのが、メキシコにあるマヤ文明の古代遺跡パレンケにあるレリーフです。
 メキシコ南東部のチアパス州に位置しているこの世界遺産は、7世紀から8世紀にかけて全盛期を迎えたマヤ文明の遺跡であり、神殿を中心とした都市の遺構となっています。複数ある神殿の一つに『十字架の神殿』というものがあり、その神殿内にあるレリーフには、一般的に『エル・フマドール El humador』(スペイン語で喫煙者の意)と呼ばれる、タバコを吹かす神が彫られています。
 マヤ文明における信仰対象であったジャガーのマントを羽織り、鳥の被り物を冠したこの神は、チューブ状の喫煙具を口に咥えて、チューブの先端から煙を吹かしています。この『十字架の神殿』は7世紀末頃に建造されたとも目されているので、少なくとも人類とタバコの歴史は7世紀には始まっていたことが分かります。その他、パレンケのレリーフ以外にもタバコを吸う神々を描いた遺物は存在しており、当時の中央アメリカの人々は「タバコは神々のお気に召すもの」、「神々と我々(人類)を結び付けるもの」と考えていたのでしょう。171819

エル・フマドール(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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平和のパイプ

 先ほど取り上げたマヤ文明に限らず、「タバコは神々のお気に召すもの」、「神々と我々(人類)を結び付けるもの」という信仰は、アメリカ大陸全体に広がっていました。宗教儀式から転じて、日々の生活においても様々な場面で、喫煙が重要な要素を占めることになります。
 代表的な例が、ロッキー山脈東側、ミシシッピ川流域の平原に居住している先住民が使っていた『平和のパイプ』(『聖なるパイプ』とも)です。
 アメリカでは『カルメット』とも呼ばれるこの儀式用パイプは、タバコが持つ神秘的、霊的な力への畏敬の念を具現化したものと言えるでしょう。『平和のパイプ』のボウル(タバコの葉を詰めるための先端部分)はカトリナイトという赤褐色の石で作成されており、柄は動物の羽根や毛、革などで美しく飾られているものが多いです。
 部族間で何か揉めごとが起きた際、『平和のパイプ』を用いて戦争するか和睦するかといった意思決定をしたり、また和睦の折には相手方の部族と『平和のパイプ』を回し回し吸うすることで、それまでの出来事を水に流し新たな契りを結ぶなど、部族社会の中で重要な役割を持っていました。202122

平和のパイプ①(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)
平和のパイプ②(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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儀式、治療、そして嗜好品

 神々や霊的なものはタバコを好む、タバコそのものに霊的な力が宿っているという信仰は、タバコによる病気治療に繋がりました。
 当時は病気や災いは悪霊の類が引き起こすものと考えられていたため、病人に取り憑いた悪霊を呪術師が追い払うための道具としてタバコが使われました。
 ただこの場合、悪霊がタバコを嫌がっているというよりもむしろ好んでいる(とされている)ことを逆手にとって、等価交換としてタバコを使っていた例もあるそうです。
 実際、20世紀のボリビアで行われていた悪霊祓いでは、治療者が悪霊(の取り付いた患者)にタバコが欲しいかどうかを聞き、タバコの煙を吹きかけることを条件に患者の体から出ていくように諭すようなやり口であったことが記録に残っております。(悪魔が畑仕事に精を出してタバコを栽培する描写のある芥川龍之介の作品、『煙草と悪魔』を思い出しました)
 このように宗教儀式や治療のために使用されていたタバコは、やがて冠婚葬祭などで振舞われる品となっていき、やがて日常的に摂取する嗜好品として受容されていきました。2324

アーチーズ国立公園(出典:ぱくたそ)

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色々なタバコの摂取方法

 ところで、アメリカ大陸の先住民はどのようにしてタバコを摂取していたのでしょう?

 タバコの摂取方法は、大別すると以下の3つがありました。

  1. 喫煙(スモーキング。タバコの葉を燃やして、その煙を吸う)
  2. 噛みたばこ(口の中でタバコの葉を噛む)
  3. 嗅ぎたばこ(粉上にしたタバコを鼻に付けたり、吸い込んだりする)

 この内、我々にもイメージができやすいのは一番上の喫煙かと思います。実際、喫煙は16世紀時点でのアメリカ大陸でも最もポピュラーなタバコの摂取方法であり、北米、中南米、南米で広く見られました。喫煙自体も、以下の3つに大別することができます。

  1. シガー(いわゆる『葉巻』のこと。タバコの葉をタバコの葉でくるんだものを喫う)
  2. 巻きたばこ(タバコの葉を何かしらの植物に詰めたり、くるんだものを喫う)
  3. パイプ(タバコの葉をパイプで喫う)

 分布としては、南米および西インド諸島ではシガー、中南米では巻きたばこ、北米ではパイプとしてそれぞれタバコが喫われていました。2526

様々なタバコの接種形態(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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シガー

 ヨーロッパ人で初めてタバコを目にしたとされているのは、ヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸に上陸したコロンブスとされています。〈タバコの語源〉の章でも出てきたラス・カサスがまとめた『コロンブス航海誌』によれば、西インド諸島に到着したコロンブス一行に先住民が贈った品々の中には「2、3枚の乾いた葉」があり、その後コロンブス達は「何枚かの枯れ葉を一枚の枯れ葉で包んだ紙鉄砲型のもの」を先住民が燻らせる様を目撃した、とのことです。
 ちなみに主だった喫煙様式がシガーである地域は西インド諸島、南米であるのは前述の通りですが、これらの地域はニコチアーナ・タバカムの分布図とうまく重ねっています。
 タバコの葉をタバコの葉自体でくるむには大きめでしなやかな形態である必要があり、ニコチアーナ・タバカムはそれらの特徴を兼ね備えていました。タバコの摂取方法がその地域で採れたタバコの種類によるものだとすると、色々と合点がいくことが多いです。
 パイプが多く出土している北米地域はニコチアーナ・ルスチカの生育地域とある程度重なっており、ニコチアーナ・タバカムと比べ味わいがキツく、乾燥すると細かな破片になるニコチアーナ・ルスチカは、何かしらの道具を介して喫う必要があったため、パイプ使用が発達したとも推測できます。27

葉巻(出典:photoAC)

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巻きたばこ

 巻きたばこというと現代では刻んだタバコの葉を紙でくるんでいるものが殆どですが、当時のアメリカ大陸では製紙法は存在していなかったため、主に植物の茎にタバコの葉を詰めたものを巻きたばことして喫っていました。
 現在のメキシコの中央部で栄えたアステカ王国では「アカジェトル」という喫煙スタイルがあり、これは葦を適用な長さに切り、その中に粉状にしたタバコと香料を詰めて封をして喫うものでした。また、トウモロコシの皮やヤシの葉で巻いたタバコを先住民が喫っていた記録もあります。28

茎(出典:photoAC)

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パイプ

 北米の先住民が使っていたパイプは、石・粘土・木など様々な材料から趣向を凝らして作られており、形状はストレートのチューブ状パイプから、L字型のもの、台座が付いているものなど、多種多様です。
 前述の『平和のパイプ』のように芸術的な彫刻、彩色が施されたものもあり、バリエーションに富んでおります。
 また興味深い点としては、北米におけるパイプの出土地域は、ある程度ニコチアーナ・ルスチカの生育地域と重なることであり、ニコチアーナ・タバカムが生育していない地域でパイプ・スモーキングが多く多く行われていた証左でもあります。
 これはシガーとは逆に、味わいがキツく、また乾燥すると細かい破片になる特徴があるニコチアーナ・ルスチカに適した喫煙形態をアメリカ先住民が選んでいたのではないかと推測できます。29

様々なパイプ(撮影場所:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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噛みたばこ(チューイング)

 先住民による噛みタバコの風習を最初に目にしたのは、「アメリカ」という呼称の元ネタである人物、イタリア人探検家のアメリゴ・ヴェスプッチでした。ヴェスプッチはアメリカ航海の際に、先住民が「緑色のハーブと粉チョークのような白い粉を口の中で混ぜ合わせている」様を目撃しています。ここで言うハーブはタバコを指しており、また白い粉は貝殻を焼き粉状にした石灰であるとされています。
 噛みたばこの習慣は主にアマゾン川の流域周辺で多く見られ、またメキシコや北米の一部でも行われていました。また多くのタバコ属の植物が群生しているオーストラリアの先住民も噛みたばこの形式でタバコを摂取していたそうです。タバコの葉を特に手間のかかる加工をせずにそのまま噛む、しゃぶるなどの行為は最も原初的なタバコの摂取方法とも言え、それ故に広範囲の地域で行われていたものと思われます。30
(画像はミャンマーの噛みたばこである「キンマ」です) 

ミャンマーの噛みたばこ(出典:photoAC)

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嗅ぎたばこ(スナッフィング)

 タバコの葉を粉末状にして鼻腔から吸い込む嗅ぎたばこは、主に南米で行われていました。後年ヨーロッパで流行った様式(粉末状になったタバコをつまんで手の甲などに置き、一吸いに嗅ぐ)とは異なり、チューブを用いて吸引していました。
 方法としては、チューブの一端を鼻腔に挿入し、もう片方の一端を別の人間が口に咥え息を吹き込むことで、吸入する形であったようです。
 アンデス山脈の周辺にある遺跡からは、6世紀から10世紀頃に使われていたと目される嗅ぎたばこ用のチューブや、粉末の盛り付け用の木皿などが出土しています。31

嗅ぎたばこ(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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ヨーロッパ人によるタバコの「発見」

 アメリカ大陸原産のタバコが、ヨーロッパ人たちによって世界中へと広まっていったことは先の章で少し触れました。ただヨーロッパ人たちが何のために新大陸であるアメリカへと渡り、タバコと邂逅するに至った経緯を理解するためには、当時のヨーロッパ情勢と大航海時代を取り上げなければなりません。

大航海時代の始まり

 15世紀末より、ヨーロッパでは外部世界への航海、探検が盛んになります。何故このような動きが起きたかについては、数多くの要因があります。

  1. イスラーム世界を経由して、中国からヨーロッパに羅針盤が伝わったこと
  2. 造船技術が発達し、遠洋航海に耐えられるような船が建造可能になったこと
  3. 10世紀から11世紀にかけて最盛期を迎えた、北イタリアの商業都市(ヴェネツィアなど)とビザンツ帝国、イスラーム世界との地中海貿易、「東方貿易(レヴァント貿易)」により、ヨーロッパ以東との知識、物資、富の交流が増加したことで、外部世界への関心が高まったこと

※3点目にある東方貿易では、ヨーロッパ人たちにとって生活必需品となっていた香辛料が莫大な富を生み出しました。32が、そこで困ったことが生じます。

 1453年、オスマン帝国(現在のトルコ)はビザンツ帝国に侵攻し、ビザンツ帝国の首都であるコンスタンティノープルを占領しました。この出来事により1,000年以上続いたビザンツ帝国が滅亡し、コンスタンティノープルは「イスタンブール」と改称されることになりました。(イスタンブールは現在のトルコでも有力な都市ですが、よく誤解されるようにトルコの首都ではありません。トルコの首都はアンカラです)
 東方貿易の主たるルートの要衝であったコンスタンティノープルがオスマン帝国によって制圧され、また他の有力ルートであったエジプト(紅海)ルートについても、1517年にオスマン帝国がエジプトを征服したことで潰されてしまいます。33香辛料を手に入れるための既存の貿易ルートが使えなくなったため、ヨーロッパはアジアと直接貿易ができる航路を切り開く必要が出ました。こうして、大航海時代の幕が開いたのです。

スペインのガレオン船(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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コロンブス、大志を抱く

 大航海時代の先達となったのは、イベリア半島に位置するスペイン、ポルトガルでした。実はイベリア半島は、711年に西ゴート王国(現在のフランス南部からイベリア半島にかけて存在したゲルマン系国家)がイスラーム国家であるウマイヤ朝に滅ぼされてから、実に800年もの間、イスラーム勢力の支配下に置かれていました。イスラーム文化とキリスト教文化の融合により、イベリア半島では文化、経済が高度に発達することになるのですが、キリスト教徒からすれば異教徒によって支配されている状況は如何ともしがたい気持ちがあり、断続的にイベリア半島からイスラーム勢力を追い出そうとする国土回復運動(レコンキスタ、Reconquista(西))が行われました。
 紆余曲折を経て、有力なキリスト教国であったカスティリャ王国の王女イサベルとアラゴン王国の王子フェルナンドの結婚により、両国が統一されスペイン王国が誕生すると、キリスト教勢力の優勢は決定的なものになり、1492年にはイスラーム勢力がイベリア半島から放逐され、スペイン領のレコンキスタが完了しました。
 なおポルトガルについては、12世紀にカスティリャ王国から分離独立した後、13世紀半ばには自領のレコンキスタを完了させ、一足早く絶対王政化、中央集権化、そして海外進出を行っていました。34

 ここでようやくコロンブスが登場します。イタリアのジェノヴァ出身であるクリストファー・コロンブスは、イタリアの学者であるトスカネリが唱えていた「地球球体説」に影響され、西廻り航路の可能性を信じていました。つまり、「ヨーロッパからそのまま西に行って大西洋を横断すれば、アジアに辿り着くことができる」と考えたわけです。 とはいえ、このアイデアを実現するには莫大な資金が必要となります。ポルトガル王室、イギリス王室にも援助を願い出しましたが断られ、最終的には先ほど出てきたカスティリャ王国の王女改め女王イサベルが資金援助してくれることになりました。当時、アフリカ大陸をぐるりと回りインドを目指す東廻り航路については、ポルトガルの手によって開拓寸前であり、ポルトガルに後れを取ったスペインからすれば、コロンブスによる西廻り航路探検は魅力的な話だったのでしょう。35

スペイン・バルセロナにあるコロンブス像(出典:photoAC)

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コロンブス、「インド」に到着する

 こうしてコロンブス一行は、サンタ・マリア号を旗艦とした計三隻の船団で、大西洋を西へと進む大航海に出ました。ただ大西洋を横断すればアジアに到着できるとするコロンブスの考えは、現代人の我々からすると、「仮にアメリカ大陸が存在していなかったとしても、間に寄港地もない状態で大西洋を横断するのは無理があるのでは……」と感じてしまいます。確かに当時の地理学、科学技術では大西洋〜アジア間の距離を正確に見積もるのはどだい無理があったとはいえ、コロンブスがかなり楽観的な試算をしていた節があるのは否めません。ただ、方々で資金集めに奔走していたコロンブスからすると、多少荒い算出距離でも良しとしないと、スポンサーから計画の実現性を疑われてしまう恐れがあったのでしょう。実際、出港後にはコロンブスの想定よりも陸地を発見するまでの時間がかかってしまい、不安を抱いた船員に反乱を起こされてしまっています。
 それでも何とか島を発見して上陸したコロンブス一行は、その地を「サン・サルバドル島(スペイン語で、「聖なる救世主」の意)」と名付けます。現在のバハマ諸島に降り立ったコロンブスはその後もアメリカ大陸の探検を続け、ヨーロッパに新大陸発見のニュースをもたらしました。
 ちなみにコロンブスは、生涯で四度に渡りアメリカ大陸への航海を行いましたが、彼は自分が発見した土地がインドの一部であると主張しており、そのことを終生疑いませんでした。 そのようなこともあり、新大陸の名称にはコロンブスの名ではなく、ポルトガルに雇われ現在のブラジルを探査し、コロンブスが言う「インド」が新大陸であることを主張したアメリゴ・ヴェスプッチの名が冠されることになります。ただ、しばらくはスペイン語でインドを意味する「インディアス」も新大陸の名称として使われ続け、またコロンブスの名はアメリカ大陸の雅称、「コロンビア」として現在まで残っています。36

サンタ・マリア号(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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ヨーロッパにおける喫煙の広まり

 こうしてアメリカ大陸へヨーロッパ人が到達したことにより、新大陸由来の様々な植物がヨーロッパに流入することになりました。タバコもその中の一つでありますが、実はタバコがいつ頃ヨーロッパにもたらされたのかは、明確には分かっていません。アメリカ大陸に赴いた探検家、聖職者は先住民たちの喫煙の風習を目撃し、書き留めることはしましたが、積極的にヨーロッパにタバコを持ち込もうとはしませんでした。当然かもしれませんが、(当時のヨーロッパ人からすれば)野蛮人が行っていた奇異な文化が受容されるには、ある程度の時間と理由を要しました。
 ヨーロッパ人によるアメリカでの殖民地経営が始まると、当初奴隷として使役されていた先住民達はヨーロッパ由来の疫病と過酷な労働によって急速にその数を減らしてしまい、その穴埋めとしてアフリカから多くの黒人奴隷がアメリカに渡りました。アメリカに渡ったヨーロッパ人の一部とこの黒人奴隷たちが、先住民以外で最初の「喫煙者」となりました。特に黒人奴隷たちにとって喫煙は、不慣れな土地、過酷な奴隷労働から来る過大なストレスから逃れられる、貴重なひと時でもありました。
 こうして徐々に先住民以外でもタバコを喫う人々が現れ始める中で、船乗りたちなどによって当時新大陸との窓口であったイベリア半島にタバコがもたらされることになります。3738

 そんな中、いよいよヨーロッパで本格的なタバコについての著述が行われます。先に述べたように、アメリカ先住民や平民が行っている風習をヨーロッパの上流階級が受け入れるには、何らかの理由が必要でした。そのような事情もあってか、タバコは16世紀半ばにヨーロッパ史に登場した際、「万能の薬」として紹介されることになるのです。

アメリカ大陸との窓口であったスペイン・セビリアの風景(出典:photoAC)

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「万能の薬」タバコ

 ポルトガルのリスボンにフランス大使として赴任していたジャン・ニコは、かの地にて「インディアンの薬草」、つまりタバコと出会います。彼はタバコの効能を書き連ね、時のフランス王妃、カトリーヌ・ド・メディシスにこの薬草を贈りました。メディシス王妃はタバコを頭痛薬として用い、また種子を臣下に分け与えたことで、フランスでは「王妃の薬草」としてタバコが広まることになりました。フランスにタバコをもたらしたジャン・ニコは、タバコの属名である「ニコチアーナ」、そして成分名である「ニコチン」に名を残すこととなります。
 そして1571年、スペインの医者であるニコラス・モナルデスは、自らが著した『西インド諸島からもたらされた有用医薬に関する書 第二部』の中で、タバコを万能薬として取り上げました。この書はヨーロッパ中にセンセーションを巻き起こし、以後2世紀以上に渡り、タバコには医療的価値があるとする論拠となりました。こうしてヨーロッパでは、タバコはアメリカ大陸がもたらした万能な薬草として受容されることになったのです。
 ちなみにモナルデスの著書によると、当時のスペインではタバコは観賞用植物として珍重されていたようです。これはタバコと同じくアメリカ大陸からもたらされたナス科の植物、トマトも同様でした。(トマトはその真っ赤な果実から、強い毒性があると思われていたため)39404142

トマト(出典:photoAC)

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絶対王政と煙草

 ここで、当時のヨーロッパがどういった時代であったのかについて、もう一度触れたいと思います。

 15世紀から16世紀にかけてのヨーロッパは、今日我々が思い浮かべる「国家」という概念が固まりつつあった、揺籃期でもありました。ヨーロッパの伝統的な宗教的権威であるローマ教皇や、地方領主の緩やかな連合体であった神聖ローマ帝国といった既存権力の枠組みに限界が見られ、銘々が統治する土地で絶対的な権力(立法権や徴税権など)を振るう国家同士が、外交によって国際関係を保つという時代が始まったのです。
 しかしながら、現代のように国民が国家の主権を有する国民国家が現れるのはまだ先のこと。当時のヨーロッパは、君主が国家の主権を有する絶対王政主義の全盛期でした。
 ただ文字面から誤解されがちですが、絶対王政は国王が強大な権力を振るって貴族や聖職者、市民を押し黙らせていた、と一概に言えるような政体ではありません。むしろ没落しつつあった封建的勢力(貴族、聖職者など)と、勃興しつつあった市民階層(ブルジョワ)たちとが、お互いの最大公約数的な存在であった国王をバランサーとして利用していた……という面も併せ持つ、不安定なものでした。
 いずれにせよ、ヨーロッパ各国の王室は下からの突き上げを喰らわないよう、国王の強大な権力を支える常備軍(それまでヨーロッパの戦争は、臨時雇いの外国人傭兵を使うことが普通でした)と、国家運営の中心である官僚を養うための財源を確保する必要がありました。当時のヨーロッパ王室が金、銀の鉱山を確保しようとアメリカ大陸に繰り出したり、輸出を促進し輸入を抑制することで貿易収支を黒字にしようと躍起になっていたのも、こういった事情があります。43

 そのような情勢の中、アメリカ大陸から有力な商品作物がもたらされることになります。それがタバコです。

王座と王冠(出典:photoAC)

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スペインとタバコ

 各国に先駆けアメリカ大陸に到達し、そのまま新大陸の窓口となったスペインで、どこの国よりも早くタバコが流行りだしたのは自明の理でした。スペインでは16世紀前半にハプスブルク家が絶対王政を確立させており、「太陽の沈まぬ国」として黄金時代を迎えておりました。タバコはアメリカ殖民地における重要な貿易品の一つであり、スペイン王室の経済的な基盤として利用されることになります。
 先ほど登場したモナルデスは、アメリカ大陸との一大交易拠点であったスペインの港湾都市、セビリアの医師でした。彼が本を著した1571年以前には、少なくともアメリカ大陸からセビリアにタバコが伝わり、そこからスペイン全土に、そしてヨーロッパ全域に喫煙の風習が広まっていったことが分かります。
 ただモナルデスによってタバコが医学的に優れた薬草であると紹介されたとはいえ、当時のスペインの人々、特に聖職者達にはすんなりと受け入れられませんでした。スペインはカトリック教会の勢力が大変強く、キリスト教の敬虔な信者や聖職者が多く居たため、禁欲を是とする宗教的価値観からタバコに対しては幾度となく非難の声が起こりました。聖職者たちの間にも次第にタバコを喫する習慣が蔓延し始め、ミサ(カトリック教会の大事な儀式)の最中にもタバコを使用する者が出てきたため、業を煮やしたスペインの宗教界はローマ教皇から直々にタバコ禁止令を出してもらうことになります。ただこの禁止令は様々な免責事項と共に布告されたものであり、結局なし崩し的にスペインではタバコの使用が認められていきました。
 ちなみに当時のスペインではまず喫煙が流行り、その後はスナッフ(嗅ぎたばこ)が主流になっていったようです。スナッフはその後しばらくの間、ヨーロッパ全体(特に上流階級において)で最も普遍的なタバコの摂取方法となりました。スナッフがヨーロッパの上流階級に受け入れられたのはフランスのルイ王朝の宮廷文化の影響が大きいのですが、その点については後続の章で触れます。4445

スペインのセビリア大聖堂の外観(出典:photoAC)

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フランスとたばこ

 17世紀前半のフランスでは、ブルボン朝のルイ十三世(在位1610~43年)が名宰相・リシュリューを登用して王権強化を図り、絶対王政を確立させました。ジャン・ニコがフランス王室にタバコを献上して数十年後、フランスの宮廷社会ではパイプ喫煙が流行していましたが、ルイ十三世が「タバコの煙を鼻から出すのは下品だ」として、宮廷内でタバコの煙を出すことを禁じました。困り果てた貴族達は、粉末状にしたタバコの葉を鼻腔から摂取するスナッフ(嗅ぎたばこ)に興じるようになり、やがて洗練されたフランスの貴族文化の一つとして、スナッフはヨーロッパ中で行われるようになりました。
 ちなみに、フランスの宮廷を始め当時のヨーロッパで行われていたスナッフは、アメリカ先住民の嗅ぎたばことは違い、吸引具を用いず、「スナッフ・ボックス」という様々な装飾を拵えた箱に入っている粉末状のタバコを一つまみして、そのまま鼻腔から吸引するというものでした。スナッフを行う際の所作、また金銀、象牙、貴石類をあしらって細工を施したスナッフ・ボックスはヨーロッパの上流階級の間でステータスの一つとなりました。4647

嗅ぎたばこ(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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イギリスとたばこ

 前述の通り、アメリカ大陸との窓口であったスペインからスナッフが流行りだし、その後フランス宮廷によってヨーロッパ中に広まりました。ちなみにスペインが拠点を置いていた南米で広く見られていたシガー(葉巻)もスペイン国内で徐々に広まりつつありましたが、この時はまだ傍流でした。4849

 ただ忘れてならないのが、当時北米に進出を始めていたイギリスでのパイプ喫煙です。北米に進出したイギリスでは、先住民の喫煙様式に影響を受けてパイプ喫煙が流行りました505152

 ヨーロッパ全体でタバコの需要が高まっている中でも、アメリカ大陸でのタバコ産出地は依然としてスペインによって押さえられおり、エリザベス一世の治世下で絶対王政の最盛期を迎えていたイギリスは、金、銀、タバコなどの利権を奪取するために覇権国家であるスペインと争います。53

パイプ(出典:photoAC)

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イギリスとスペインの覇権争い

 両者は政府から権限委任された民間船が敵国の船を強襲、掠奪する行為、私拿捕(私掠とも)を以て代理戦争を繰り広げ、1588年に勃発したアルマダの海戦でスペインの無敵艦隊(アルマダ)がイギリスに敗れ去ったことで、スペインの衰退とイギリスの躍進は決定的になりました。以降、ヨーロッパはイギリスと後述するオランダ、そしてフランスが鎬を削る三国時代が訪れます。
 ちなみに私拿捕船の船長として名高いのが、かのジョン・ホーキンズ、そしてフランシス・ドレイクです。現代ではそれぞれ海賊のアイコンとしての印象が強いとはいえ、前述の通りイギリス政府から認可を受けていた点を見ると、海賊とは言い難いです。というよりも海賊行為と私拿捕の境目が曖昧であり、近代的な海軍組織が出来上がる前の、過渡期特有の存在であったと言えます。
  私拿捕は16世紀後半に最も盛んに行われましたが、その後各国が正規軍としての海軍を組織した上、国際関係の決まり事も固まりつつあった18世紀後半には下火となり、19世紀中頃には国際会議で禁止されました。5455565758

海賊旗(出典:photoAC)

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『嫌煙王』ジェームズ1世のしたたかさ

 次なる覇権国家として歩み始めたイギリスでしたが、エリザベス一世が未婚のまま没したためテューダー朝は断絶して、代わりにスコットランド王ジェームズ6世が新たにイギリス王ジェームズ1世として即位しました。ステュアート朝の始まりです。
 ジェームズ1世はスペインと長年の対立を解消するなど平和主義者として目されていましたが、外国(当時、スコットランドとイングランドは別の国扱いでした)出身者であることから支持基盤が脆く、王権神授説(王権は神から授けられたものとする思想。国民は元より、宗教的権威である筈のローマ教皇などの制約も受けないことを現しています)を唱えました。59

 このジェームズ1世、筋金入りの嫌煙家としても知られています。即位した翌年、1604年には王自らの手で喫煙の風習を激しく罵った文書『タバコへの抗議(A Counterblaste to Tobacco』を匿名で発表しました。ただ匿名とは言いつつ、すぐさま王自身の文章であると知れ渡ってしまったようです。6061

 そのような嫌煙感情もあってか、ジェームズ1世はとうとう以下のような布告を出します。

  1. スペインからの輸入タバコには、約40倍の関税を課す
  2. イギリス国内におけるタバコの栽培を禁止する

 この流れで見ると、ただ自身のタバコ嫌いを推し出しただけの内容に見えますが、ここにジェームズ1世の為政者としてのしたたかさが見受けられます。そもそも王自身がタバコ排撃の文章を発表しているのは、それだけイギリス国内で喫煙風習が蔓延していた証左でもあります。そして、それはタバコの禁止令などを出したところで抑制できるような状況にないことも、ジェームズ1世は分かっていました。更に絶対王政を成り立たせるために王室財政を豊かにする意味合いもあり、このような布告を出したとされています。

  布告の目的をまとめてみますと、このようになります。

  1. 高関税を課し、タバコの輸入を抑止することで、スペインへの富の流出を防ぐ
  2. 高関税を課すことで、王室財政を潤す
  3. 輸入タバコの高関税と、イギリス国内でのタバコの栽培禁止によって、喫煙を抑制する

 ただ結局のところ、ジェームズ1世の目論見は完全に外れてしまいました。高関税を逃れるためにタバコの密輸入が増え、また税の徴収を難化させてしまいました。またタバコの栽培禁止策は農民たちの激しい抵抗に遭い、禁止策が完了するまで実に100年もの時間を要すことになります。禁止されればしたくなるのが人間の性。ジェームズ1世の政策によって、逆にイギリス国内では喫煙の風習が益々拡大していきました。6263

喫煙のイメージ(出典:photoAC)

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ジェームズタウンの功績

 スペインによるタバコ独占は、北米のイギリス植民地の手によって、終止符を打たれることになります。
 北米に進出していたイギリスは、1607年に最初の永続的植民地であるジェームズタウンを建設します。(名の由来は、前述のジェームズ1世)

 鉱物資源など、植民地からイギリス本国へ送れるような物資を得るために建設されたジェームズタウンでしたが、一向に有用な産出物を生み出すことができず、放棄される寸前まで陥りました。そこで救世主として現れたのが、ジョン・ロルフです。彼はスペイン領アメリカで手に入れたニコチアーナ・タバカムの種を基にタバコ栽培を始め、やがてスペインからの輸入タバコを凌駕する量を、イギリス本国に輸出するまでに至りました。こうしてジェームズタウン、ひいてはイギリスはロルフの始めたタバコ事業により巨万の富を得ることに成功します。その後もタバコは北米植民地における重要な商品作物として、大量に栽培されることになりました。
 ちなみに、ジョン・ロルフはポカホンタスの夫としても有名です。(ディズニー作品の『ポカホンタス』に出てきたのは探検家のジョン・スミスであり、ジョン・ロルフは二作目である『ポカホンタスII/イングランドへの旅立ち』に登場します)646566

ジェームズタウンがあったバージニア州の街並み(出典:photoAC)

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オランダとタバコ

 イギリスと同じく、スペインによるアメリカ大陸の交易独占に私拿捕などで割り込み、北米に進出していったオランダでも、パイプ喫煙が流行っていました。67

 オランダは、成り立ちからしてスペインとの因縁が深い国です。現在のオランダ王国、ベルギー王国、ルクセンブルク大公国(上記三国は、総称して『ベネルクス』とも呼ばれます)、その他フランスとドイツの一部を内包する地域であるネーデルラントは、元は々ハプスブルク家が統治する神聖ローマ帝国の所領でした。ハプスブルク家がオーストリア系とスペイン系に分派すると、ネーデルラントはスペイン側の支配下になりました。
 当時ネーデルラントではカルヴァン派(プロテスタントの一派)が優勢だったにも関わらず、スペイン・ハプスブルク家はカトリック信仰を強制し、やがて恐怖政治を行うようになりました。独立の機運が高まる中で、17州で構成されるネーデルラントの内、南部10州(北部と違い、比較的カトリック勢力が強かった)はスペイン側に付き、北部7州はネーデルラント連合王国(オランダ)として独立しました。南部10州は紆余曲折を経て、現在のベルギー王国として独立することになります。
 南部に位置していたアントウェルペン(現在のベルギー王国でも有力な都市)は、ヨーロッパでも有数の商業都市でした。オランダの独立戦争の過程でアントウェルペンの経済活動は壊滅的な被害を受けてしまいますが、他方、独立を成し遂げたオランダでは南部から亡命してきた商工業者などの活躍で、アムステルダムを中心に驚異的な経済発展を成し遂げます。68

 オランダでは当時のヨーロッパでは珍しく共和制を敷いていたため、建国の経緯もあり良くも悪くも裕福な商人貴族が自由主義的な国家運営を行っていました。タバコの取り扱いについても他国とは一線を画しており、自国内でのタバコの栽培も可、また専売制も導入しないなど、タバコ産業が自由に発展した国でもありました。オランダは後に、パイプタバコの主要な輸出国となります。69

 ともあれ、ヨーロッパ各地にパイプ喫煙を広めることに一役買ったのは、スペインの無敵艦隊を撃ち倒し破竹の勢いであるイギリスと、17世紀に黄金時代を迎えたオランダでした。

オランダで作られていたクレーパイプ(出典:たばこと塩の博物館【筆者による撮影】)

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タバコと三十年戦争

 ヨーロッパにパイプ喫煙の風習が広まる大きな契機となったのは、1618年~1648年に繰り広げられた三十年戦争でした。神聖ローマ皇帝がベーメン(ボヘミア)国王にカトリック教徒を指名したところ、プロテスタントが大多数の民衆たちが武装蜂起をしたことに端を発し、最終的にはヨーロッパの主要な国々が一堂に会する大戦争となりました。当初はカトリック、プロテスタントの宗教戦争であったのが、フランス(カトリック)がスウェーデン(プロテスタント)を支援するなど最早何でもありの状態になり、歴史上最後で最大の宗教戦争とも評されます。7071

 プロテスタント側勢力としてドイツ地方に進軍したイギリス軍は、各地でパイプ喫煙の風習を伝えました。やがてオーストリア軍もパイプ喫煙に親しみ、すぐにこれをハンガリーに伝えます。またスペイン、オーストリアの両ハプルブルク家からの完全独立を目指し参戦していたオランダも、イギリスと同じくパイプ喫煙を広めていきました。
 こうして三十年戦争が終結した17世紀半ばには、ヨーロッパのほぼ全領域にパイプ喫煙が広まりました72

かつてベーメン(ボヘミア)王国が存在していた、チェコ・プラハの風景(出典:photoAC)

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最後に

 いかがでしたでしょうか。 

 アメリカ先住民の嗜好品であったタバコが、コロンブスのアメリカ大陸到達を経て、ヨーロッパ中に広まるまでの歴史を取り上げました。絶対王政主義を支える重要な商品作物となったタバコは、やがて日本にも到来し、瞬く間に人々の間で流行っていきます。タバコのその後については、また改めてご紹介させていただきます。 

 当館には様々なたばこのパッケージ、ライター、マッチ箱が展示されております。是非一度、ご自身の目でご覧になってください。 


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脚注
  1. 成人喫煙率(JT全国喫煙者率調査) ↩︎
  2. 2022(令和4)年 国民生活基礎調査の概況 ↩︎
  3. 2017年「全国たばこ喫煙者率調査」、男女計で18.2% ↩︎
  4. コロンブスと「たばこ」の出会い 世界へ広まった「たばこ」 | JTウェブサイト ↩︎
  5. コロンブスと「たばこ」の出会い 友好の証は「たばこ」 | JTウェブサイト ↩︎
  6. 新大陸で生まれた「たばこ」 人々と「たばこ」の関係 | JTウェブサイト ↩︎
  7. 「詳説世界史研究 改訂版」p.275~276 ↩︎
  8. ヨーロッパと「たばこ」のかかわり スペインと「たばこ」 | JTウェブサイト ↩︎
  9. タバコ | Wikipedia ↩︎
  10. ナス科 | Wikipedia ↩︎
  11. 「タバコの歴史」p.29 ↩︎
  12. 新大陸で生まれた「たばこ」 「たばこ」の起源 | JTウェブサイト ↩︎
  13. 「タバコの歴史」p.29~31 ↩︎
  14. 「タバコの歴史」p.33、46~48 ↩︎
  15. 「タバコの歴史」p.101 ↩︎
  16. ハシリドコロ | Wikipedia ↩︎
  17. 新大陸で生まれた「たばこ」 人々と「たばこ」の関係 | JTウェブサイト ↩︎
  18. パレンケ | Wikipedia ↩︎
  19. 「タバコの歴史」p.4~8 ↩︎
  20. 聖なるパイプ | Wikipedia ↩︎
  21. 北米先住民のパイプ | たばこと塩の博物館 ↩︎
  22. 「タバコの歴史」p.19~20 ↩︎
  23. 新大陸で生まれた「たばこ」 人々と「たばこ」の関係 | JTウェブサイト ↩︎
  24. 「タバコの歴史」p.21~24 ↩︎
  25. 新大陸で生まれた「たばこ」 さまざまな喫煙形態 | JTウェブサイト ↩︎
  26. 「タバコの歴史」p.31~46 ↩︎
  27. 「タバコの歴史」p.31~34 ↩︎
  28. 「タバコの歴史」p.34~38 ↩︎
  29. 「タバコの歴史」p.39~41 ↩︎
  30. 「タバコの歴史」p.42~43 ↩︎
  31. 「タバコの歴史」p.43~46 ↩︎
  32. 「詳説世界史研究」p.274 ↩︎
  33. 「詳説世界史研究」p.264~265 ↩︎
  34. 「詳説世界史研究」p.216~218 ↩︎
  35. 「詳説世界史研究」p.275~276 ↩︎
  36. 「詳説世界史研究」p.275~276 ↩︎
  37. 「タバコの歴史」p.50~52 ↩︎
  38. 帆船に乗って大西洋を渡った「たばこ」 | JTウェブサイト ↩︎
  39. 「たばこ」の普及に貢献したスペイン在住の医師 | JTウェブサイト ↩︎
  40. 「たばこ」の歴史に名を遺したフランス人 | JTウェブサイト ↩︎
  41. 「タバコの歴史」p.54~58 ↩︎
  42. 「タバコの歴史」p.62 ↩︎
  43. 「タバコの歴史」p.298~300 ↩︎
  44. 「タバコの歴史」p.116~117 ↩︎
  45. 「たばこ」の普及に貢献したスペイン在住の医師 | JTウェブサイト ↩︎
  46. 「タバコの歴史」p.56~57 ↩︎
  47. 「タバコの歴史」p.137~142 ↩︎
  48. 「タバコの歴史」p.62~63 ↩︎
  49. 「タバコの歴史」p.151 ↩︎
  50. 「タバコの歴史」p.62~64 ↩︎
  51. 「タバコの歴史」p.66~67 ↩︎
  52. 「タバコの歴史」p.83~84 ↩︎
  53. 「タバコの歴史」p.124 ↩︎
  54. 「タバコの歴史」p.124 ↩︎
  55. 「詳説世界史研究」p.277 ↩︎
  56. 「詳説世界史研究」p.302 ↩︎
  57. 「詳説世界史研究」p.306 ↩︎
  58. 「詳説世界史研究」p.322 ↩︎
  59. 「詳説世界史研究」p.315~316 ↩︎
  60. 「詳説世界史研究」p.66~67 ↩︎
  61. 「詳説世界史研究」p.82~83 ↩︎
  62. 「詳説世界史研究」p.124~125 ↩︎
  63. ヨーロッパと「たばこ」の関わり イギリスと「たばこ」 | JTウェブサイト ↩︎
  64. 「タバコの歴史」p.124~126 ↩︎
  65. 「詳説世界史研究」p.322 ↩︎
  66. ヨーロッパと「たばこ」の関わり イギリスと「たばこ」 | JTウェブサイト ↩︎
  67. 「タバコの歴史」p.68 ↩︎
  68. 「詳説世界史研究」p.303~304 ↩︎
  69. 「タバコの歴史」p.130~132 ↩︎
  70. 「詳説世界史研究」p.310 ↩︎
  71. 「タバコの歴史」p.71 ↩︎
  72. 「タバコの歴史」p.71~72 ↩︎
参考文献

・上野 堅實(1998年) . 『タバコの歴史』 . 大修館書店 , p.349 .
・編:木下康彦・木村靖二・吉田寅(2008) . 『詳説世界史研究 改訂版』 . 山川出版社 , p.596 .


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