著:桜城蘭
編:桜城蘭
“日常過ぎる”がゆえに見落としていたもの
冷蔵庫を開ければ、必ずと言っていいほど目に入るペットボトル。喉が渇けば手に取り、飲み終えればゴミ箱へと向かう。
しかし、少しだけ立ち止まって見てみると、この身近な存在には驚くほどの工夫と美しさが秘められていることに気づかされる。

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軽くて丈夫、だけではない「ペットボトル」の工夫
ペットボトルが本格的に普及したのは1980年代以降である。現在では、飲料容器の定番となっている。
とりわけ注目すべきは、その形状である。例えば、底が花のように広がった五角形の「ペタロイド底」は、炭酸飲料の内圧に耐えるために設計された技術の結晶だ。
また、表面には指がかかりやすい凹凸が施され、冷たさを手に伝えつつも滑りにくくなるよう工夫が凝らされている。

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ラベルやキャップに込められた意図と美意識
キャップは一見どれも同じように見えるが、実はブランドごとにわずかに異なる色味や刻印が施されている。
ラベルも単なる情報の媒体ではなく、季節感や地域性を表す意匠として重要な役割を担っている。
剥がすときのピリピリとした感触や音にすら、使用感へのこだわりが垣間見えるのではないだろうか。

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“一度きり”で終わらせない視点
B宝館では、このような「使い捨てられるモノ」にこそ宿る美に目を向け、それを大切にする視点を重んじている。
ペットボトルは使用後すぐに処分される運命にあるが、そこにひとつひとつ異なる物語が存在することを忘れてはならない。
最後に手にした一本にも、きっとたった一度の出会いがあったはずである。

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次に手に取る一本に目を凝らして
日々の暮らしのなかで見過ごしてきたモノに目を向けてみる。
そこには、誰かが悩み、工夫し、美しさを込めた痕跡が宿っている。
ペットボトル。それは私たちの暮らしに潜む“機能美”の象徴といえるかもしれない。

桜城蘭

人物紹介
B宝館の2代目館長。
そしてそれは、仮の肩書きではなく、真の姿の名である。
桜城蘭がその姿を現すのは、
メディア出演、登壇、式典、その他「これはもう隠れきれない」という
不可抗力のイベントが発生したときに限られる。
その際の姿は、プロフィール写真に写るとおり――
過不足なく、盛りも削りもない“本体”だ。
それ以外の時間、館長は人間界に溶け込む。
名を変え、姿を伏せ、
展示物の影や日用品の隙間に身を潜めながら、
静かにこの世界を観察している。
桜城蘭とは、
前に立つ存在であると同時に、
できるだけ前に出ない存在でもある。
今日もまた、
何も起こらなければ仮の姿のまま。
何かが起これば――
そのときだけ、桜城蘭は姿を現す。
B宝館の扉が開くとき、
そこにいるかどうかは、少し運次第である。















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